NPO法人TEDIC/代表理事 門馬優

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救われた。

センター開所から早2週間。数字ベースでいくと、のべ43件の相談(データ上は)を受けている。中学生が半数近くを占め、電話相談を中心に、そこから来所相談というパターンが増えている状況。想像以上に、相談が寄せられているため、体制整備が急務。

 

今日は朝から学校へ訪問。新規でフリースクールを利用し始めた生徒さんについて、情報交換。文科省通知に従い、学校長判断による「指導要録上の出席扱い」について取り扱っていただけることに(これまでも、全ての学校で承認いただいている)。しがない一NPOの活動に、ご理解をいただき、本当に感謝。事務所に戻り、理事と現在の法人の状況について話し合い。どうしても自分自身、現場で見えたこと、思いついたことに飛びついてしまい、社内を振り回してしまう傾向があるため、しっかりと足元をみるために必要な時間。午後は「不登校・ひきこもり支援者のつどい」ということで、宮城県ひきこもり地域支援センターなど、複数の官民団体で緩やかな情報交換を行う場に出席。子ども・若者総合相談センターについての説明、みなさんから質問を受けながら、やはり連携は足で稼ぐしかないと実感。夕方からは子ども食堂に顔を出す。灼熱の町内会館で、住民さんが作ってくださった夕食を子どもたちと一緒に食べる。少し気になる様子だった子どもの表情も確認しつつ、新たに「この子、気になってて・・」という子どもの相談を住民さんから。地域の居場所から、個別支援にどう繋げていくのか。支援者として、力量が試されるとき。

 

Facebookで、西日本豪雨での避難所支援等で現地に入られている様子を拝見するたびに、ムズムズする。ちょうど7年前のあのとき、あの避難所で「震災がきて、救われた」という言葉に出会わなければ、いまの自分はない。今回の豪雨災害で、また「豪雨があって、よかった」というような悲しい言葉が聞かれたら、私たちは本当に猛省すべきだと思う。災害があってもなくても、地域の中で「声」が上げられずにいる子ども・若者(ひと)がいるということを、決して忘れちゃいけない。「声」に向き合えている団体なのか、あの日の原点に立ち返らなければいけない。

日常。

前日の日帰り東京出張でガチガチになった体に鞭を打ち、朝から東松島市役所にご挨拶と打合せ行脚。健康推進課、学校教育課、子育て支援課と回らせていただき、新たに開設したセンターのご案内と周知のお願い、それと出張相談会の打合せ。石巻市と比べて、民間団体の支援の動きがゆるやかな東松島市にあって、打合せの度に「このケース、相談しようと思ってたんです!」「この子は対象になりませんか?」と圧倒されるくらいの質問攻め。センターの裏ミッションである「この地域に、必要なことを、地域でつくる」をやはり進めていかねばと。お昼にかけては教育事務所で保護者面談。地方では三世代同居のご家庭も多いが、世代的な感覚のギャップもあり、「不登校」への受容のハードルが高い場合が多いように感じる。そりゃ、親御さんだって、「まさか、うちの子が・・」と受け止めるまでに時間がかかる場合もあるのに、ましてやお爺ちゃんお婆ちゃんならと。ご家族もまるっと支えながら、本人が一歩目を踏み出せる距離や角度、場所を確認していく。午後からは職員会議・・・の途中にセンターの電話相談を受け(やや重めのケース)、出張で溜まった仕事を消化しつつ、今に至る。

 

日常の生活の営みの中で、自然に「支え」「支えられ」が生まれている、そんな当たり前があるといいなと思う(それ「しか」は、また息苦しいけど)。子ども食堂、学習支援、プレーパーク、色んな「意図的に」生まれた場の価値の尊さは受け止めつつも、コンビニ、スーパー、ドラッグストア、GEO、ドンキ、TSUTAYA・・・そんな彼ら・彼女たちが日常で触れる世界(人)が、少しお節介になるだけで、変わるものは多い気もする。もちろん、そんな営みがあっても、「どうしても・・・」という存在は必要。その両輪をどのように分担し、相互に尊重しながら、歩んでいけるのか。昔を回顧しつつも、でも変わっていった今を受け止めつつ、これからをどう考えるのか。

1週間。

センター開所から、あっという間に時間は流れ、もう1週間。メディア報道の影響もあってか、ケース相談が相次ぐ。このペースでいくとパンクしそうなくらい。関係機関からケース情報の共有があるのは、指定支援機関の影響力を感じる。緊急度の高い相談もチラホラあり、早めに体制を整えたい。

 

週末は、石巻に4年間捧げてくれたある医師の送別会に。地域医療、なにより「医師」を身近にしてくれたのは先輩のおかげです。また石巻に戻って来てください。医療、介護、障がい、福祉、さまざまなフィールドで熱い思いをもって活動する皆さんに、エネルギーチャージしてもらいました。

 

今日は朝からお世話になっている財団さんへご挨拶に。こんなヨチヨチ歩きの団体に、ご支援してくださることに感謝。ご恩は現場でしっかり返す。その後は要町に移動して、PIECES新拠点にお邪魔。個別支援と地域支援の間で揺れながら、未来をどう描いていくのか。働かないのではなく、働けない社会に我々がしてしまっているのではないか。出番と居場所の繋ぎ手の必要性などなど、おなかいっぱい。

 

ブログを書きながら、石巻へ戻りつつ。西日本の豪雨被害、なかなか映像が見れない。あの日と重なるとやはり苦しくなる。豪雨被害に遭われたすべての皆様に心よりお見舞い申し上げるとともに、どんな状況からでも立ち上がれるという姿を見せることが、遠くから出来るエールだと思い、明日も頑張ります。がんばろ。

石巻圏域子ども・若者総合相談センター、オープン。

法人設立から丸7年、8年目に突入した今年度。新たな事業をスタートさせます。

 

2018年7月3日(火)「石巻圏域子ども・若者総合相談センター(以下、センター)」を開所、オープンすることになりました。

 

「石巻圏域子ども・若者総合相談センター」を開設します!(共同参画社会推進課) - 宮城県公式ウェブサイト

 

既に報道発表されている通り、このセンターは宮城県から委託を受け、TEDICが受託運営します。また、子ども・若者育成支援推進法第22条に基づき、宮城県が設置した「石巻圏域子ども・若者支援地域協議会(以下、協議会)」の指定支援機関として、指定を受けました。

 

これまで、出会ってきた子ども・若者のニーズに合わせて、少しずつ現場を増やし、支援プログラムを増やしと取り組んできましたが、活動を続ければ続けるほど、より深刻な状況に向き合わざるを得ず、その度に無力さを感じる場面が多々ありました。

 

制度の「対象者にならなければ、支援できない」という壁にも、何度も阻まれてきました。また、現場レベルでは支援者間での信頼関係をベースに個別ケースにおいて連携をしてきたものの、「民間団体だから」という理由で情報が共有されなかったり、共有の根拠について行政関係機関から指摘を受けることもありました。(個人情報の取扱いは非常にデリケートなものですので、ご指摘はごもっともでした。)

 

そんな壁を乗り越えて「ご本人の最善の利益」に、愚直にまっすぐに、向き合っていくために、何ができるのか。「私たちが関わった子ども・若者は、本当に"シアワセ"なのだろうか。」という問い(これは常に問われ続ける問い)。

 

そんな問いに悩み続けている中で、再会したのがNPOスチューデント・サポート・フェイスの谷口仁史さんでした。ご周知の通り、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀(2015年8月31日放送)」でも取り上げられ、佐賀県で年間のべ4万件にも及ぶ子ども・若者・その家族からのSOSに、応え続けられている団体です。

 

昨年11月には、内閣府アウトリーチ(訪問支援)」研修を活用させていただき、2週間、佐賀で修行をさせていただきました。様々な法や制度を駆使しながら、限界を突破し続ける団体としての姿勢に、「このままじゃ、いけない」と檄を飛ばして頂いたような気持ちでした。

 

今回、石巻圏域で新たに取り組ませて頂くこの仕組みは、佐賀でも先進事例として取り組まれているものです。しかし、あくまで制度や仕組みは「枠組み」でしかなく、その「枠組み」に"魂"を入れる我々が、結局のところは問われているのだと思っています。

この我々という言葉は、私たちTEDICはもちろん、子ども・若者の"シアワセ"を願ってやまない行政関係機関はもちろん、学校、NPO、地域住民、全てのひとたちを指します。震災後に一緒に切磋琢磨してきた、またご指導いただいた諸先輩方とも一緒に、この仕組みを育てていきたいと思っています。

 

オープン前から、児童相談所、教育事務所、スクールソーシャルワーカー、学校、病院、保護者のみなさん等、たくさんのケースのご相談を寄せて頂いています。明日のオープン初日も、既に相談が入り、僕は朝から学校でのケース会議です。

 

今まで培ってきたこと、子どもたち、親御さん、沢山のケースの一つ一つから教えてもらってきたことを忘れず、これからも頑張ります。(なんか仕組みができても、結局これまでと良くも悪くも、やることは変わらないんですよね。)仕組みを育てていった先に、仕組みがなくても、みんながシアワセに暮らせる社会や地域がありますように(そういう仕組みなのかもしれない。)

被災した渡塾「高槻校」応援のお願い。

大阪北部地震で被害を受けた一人親家庭の子どもたちの塾 渡塾「高槻校」を再建する! - CAMPFIRE(キャンプファイヤー)

活動を始めて8年目。沢山の方々に支えてもらっての活動でしたが、"同世代"の「仲間」の存在は、こんな自分が今でも活動継続出来ている、その中も大きい原動力です。宮城県内はもちろん、東北、そして全国で頑張っている「仲間」の顔を浮かべると、エネルギーが湧き上がってくる不思議。出張や仕事で会うたびに、お酒片手にアホみたいな話から、活動のこと、経営のこと、社会のこと、未来のことを語り合う「仲間」がいます。

 

そんな大切な仲間の一人である渡(普段は同世代なのにめんどくさい先輩弄りをしてくるやつ)。渡自身が母子家庭で育った経験(経験って二文字で表現できるような、そんなものじゃないけど)から、ひとり親家庭の子どもたちを中心に、経済的に苦しい状況にある中高生を支援するNPO法人あっとすくーるを、大阪・箕面市で立ち上げ、「渡塾」という学校で子どもたちを支えています。

 

渡塾は、主にひとり親家庭の子どもたちを支える塾です。「塾」と聞くと、お金の匂いがしたり、ビジネスだと思われたりするかもしれませんが、渡とその仲間たちが創っているのは「塾」ではありません。「学習」をキッカケに、子どもたちと大学生が出会う「場」であり、「つながり」づくり。その先には、子どもたちと出会った、大学生ボランティアや職員が、ひとり一人の子どもたちに寄り添って「学習」だけではなく、彼らの今を支えています。学習を支援するだけではなくて、あくまでひとり一人の子どもたちの人生を、一人の人として支えるという関係に、強くこだわっているんだと思います。そのプロセスは全然華やかではなくて、泥臭くて、地道で、綺麗ごとばかりではなく、きっと胸が締め付けられるようなそんな場面の連続なんじゃないかなと思います。進学率という数字に現れるだけではなくて、「渡塾に出会えて人生が変わった」そんな子どもたちがたくさんいます。

 

そんな渡塾「高槻校」が、先日の大阪北部地震で被災し、再建を余儀なくされました。

 

7年前のあの日の自分の故郷に重ねつつ、なんとか力になりたいと思っています。震災後に、TEDICが何とか前に進めたのは、阪神淡路大震災の時に立ち上がったNPOの諸先輩方のサポートがあったから、でした(もちろん、それだけではなかったけど)。石巻で今も仕事をしていると「関西弁」を聞かない日はないくらい、遠く離れたところから、今でも支えてもらっています。今度は、僕から恩返しをする番です(熊本のときも、水害のときも、変わらずですが)。

 

自分たちが関わっている子どもたちの顔を思い浮かべると、「当たり前」だと思っていた「場」=「渡塾」が奪われることが、どれだけ彼らを追い詰めるものなのか。想像に難くありません。

 

うっかりこのブログを読んでしまったみなさん、ぜひシェアでも「いいね」でも、何より「ご寄付」でも応援していただけたら、幸いです。渡の思いは本物です。ぜひご支援をお願いします。