NPO法人TEDIC/代表理事 門馬優

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早く、3月11日が過ぎればいいのに。

「早く、3月11日が過ぎればいいのに。」

 

いつからか、明確にこんな気持ちを覚えるようになり、今年も気持ち的に「石巻にいるのは無理だ。」と思い、職員のみんなとも話し、1週間の出張に出してもらいました。

 

 

僕の大切な友人にも、この日が誕生日の人もいる。誕生日じゃなくても、かけがえのない、大切な誰かと、幸せを噛み締めたい人もきっと、いる。3月11日という日付に罪はないし、こんなことを考えてしまうことに、罪悪感すら感じてしまうけど、でもやっぱり、「早く、3月11日が過ぎればいいのに。」と思うのが、いまの正直な気持ちです。

 

「3月11日。あの日に関われなかったことが、何かずっと引っかかっている。」と、話してくれた職員がいました。「1月17日、あの日から「当事者」とは何か?ということを、ずっと考えている。」と話してくれた職員がいました。今は離れてしまったけど、「あの日、荒浜で怖すぎて、ずっと泣いていた。」と話してくれた職員がいました。

 

Facebookの投稿にも書いたように、「3.11が近づいてきて、すごく気持ちが重くなってきて。だから、相談くるの、あの日が過ぎてからでもいいですか?」や「もし、震災がなかったら。震災で、家も、職場も流されてなかったら。いまも、昔みたいなお母さんだったかもしれないのに。」と呟いた子どももいました。

 

あの日、「どうして、手を離しちゃったんだろう。」と避難所で話してくれた中学生がいました。「わたしは家族が見つかってないから、あの子たちの辛さがちょっとだけわかるんだ。」と話してくれた高校生がいました。

 

東北の地で、「あの日があったから、いまがあると言えるような、そんな東北を作りたい!」と熱く語ってくれたNPO仲間がいました。「しんどくて、辛くて、悲しいまちじゃなくて、これからまた町が立ち上がっていく、そんな熱と思いに満ちた町にしたい」と、熱く語ってくれた社協職員がいました。「夏の真備町の水害で、フラッシュバックしちゃって。いまも、まだリハビリ中」と話してくれた、避難所の頃からの大切な先輩もいました。

 

この日を、どんな思いで、どう過ごすのか。そこにあるべき論はきっとない。

 

忘れられることをしんどいと思う人が(ときも)いれば、忘れられないことをしんどいと思う人(とき)もある。町が生まれ変わり、人が増え、活気に満ちて、面白いこともたくさんできる機会に恵まれて、そんな変化を「めっちゃ楽しいです!」と受け止める人もいれば、「なんか、寂しい・・・」と思う人もいる。

 

8年前は湊のあの場所に「ガレキ」があるだけで、辛くて胸が張り裂けそうだった。3年前は「ガレキ」すらなくなってしまったことに、辛くて胸が張り裂けそうだった。1年前からは、石巻という、じいちゃんばあちゃんとの思い出が詰まった場所が、震災の前と後で分けられて語られて(語っていて)、本当は地続きなのに、どこか「繋がっていない」感覚に襲われたりもした。

 

「震災がきて、救われた」あの話をすることが、自分の中でのある種の「正しさ」として真ん中にあったのに、いつの間にか「震災がきて、救われた」という言葉自体が、誰かをグサッと突き刺すナイフにもなっているかもしれないと、思うようにもなった。

 

この日、をどう過ごすのか。「早く、3月11日が過ぎればいいのに。」と思う僕みたいな人も、「3月11日に、"当たり前"に感謝する」と決めている人も、「3月11日に、気持ち新たにまた頑張ろう」と思う人も、「3月11日に、風化しないでいてほしい」と願う人も、「3月11日という言葉を聞くだけで辛くなる」と思う人も、「3月11日に、新たな命を授かった」人も。

 

どんな人も、どんなときも、その気持ちを、湧き上がってくる感情を、「ありのまま」そのままにぎゅっと抱きしめる。そんな1日になりますように。

 

そして、来年も、再来年も、これからもずっと、なにかを考えずにはいられないこの日に、たくさんの子どもたち、若者たち、うちの職員、チューター、支援者のみなさんの顔が、たくさん浮かびますように。