NPO法人TEDIC/代表理事 門馬優

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30歳。いま、伝えたいこと。

「30歳。いま、伝えたいこと。」

 

 前回のブログから、早4ヶ月。気づいたら、2018年から、2019年に変わってしまいました。みなさん、いかがお過ごしでしょうか。

 

 1月末、2週間ほどお仕事をお休みしていました。あまりブログで公表することでもないかと思いながら、今後の自分のためにも記録しておくことにします。

 

 

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 1月16日の夜、PCに向かって業務をしているときに、何かが「切れる」感覚があり(血管などではなく、気持ち的な話)、「明日、勤務できないかもしれない」と職員に伝えて、帰宅。その後、気づいたら朝を迎え、そのまま出勤ができない状態になってしまいました。

 

(この間、様々な形でご迷惑をおかけした皆さん、申し訳ありませんでした。そして、何より業務を支えてくれた職員・チューター・スタッフのみんな、本当にありがとうございました。)

 

 「苦しい」「つらい」「消えたい」という言葉が頭に浮かび続けた後、ふと「何がこんなにしんどいのか」がわからないことがしんどいと思い、同時にこのまま「ずっとひきこもって出られなくなってしまうんじゃないか」と焦り、慌ててある友人に連絡をとりました。

 

 「とことん、落ちるところまで落ちていいんじゃない?」「何がしんどいのかわからないというしんどさも含めて、受け止めて。その上で、湧き上がってくる感情を、1つ1つ掴んで行ったらいいんじゃない?」「人に会わない方がいいと思う。人にアドバイスされるとわかった気になっちゃうから。」と、その友人は伝えてくれました。

 

 それから1週間近く、自宅にひきこもりながら、「フツウ」の生活をおくりました。朝起きて、ご飯をつくって、食べて、部屋の掃除をして、映画やドラマ、漫画を読んで、お風呂に浸かって、寝る。ただそれだけの暮らしをしてみました。

 

 「あぁ、疲れてたんだな」と、ふと気持ちを表す言葉を見つけました。「フツウ」の暮らしを送るだけで、体も軽くなって、頭も軽くなって、ずっと当たり前になっていた頭皮の痛みもとれて、どこかすっきりとするのを感じました。と同時に、「あぁ、こういう幸せもあるんだなぁ」と思いました。

 

 今まで色んな方々に「もっと、自分を大切にした方がいい。」「休んだ方がいいよ、休めてる?」と心配される度に、「大丈夫ですよ!」と答えていた(そのときは、本当にそう思っていた)、でもその本当の意味がわかった気がしました。

 

 「何に疲れていたのか」 8年間、子どもたちと出会えば出会うほど、「なんで、この子がこんな目にあわないといけないのか」と憤り、「いま、この瞬間、この子」を「なんとかしなきゃ」と思ってきました。

 

 「やりたいことだから、大丈夫(と本当に思っていた)」と全力疾走し続け、最短で、最速で、走り抜けることが、使命・プライドのように感じていました。

 

 そんな自分に期待してくださる方々に「応えなきゃ」という気持ちが強くなっていき、目の前で出会い続ける子どもたちに「応えなきゃ」「足を止めちゃいけない」という気持ちが強くなっていきました。

 

 「やりたいから」という気持ちに、「あるべきだから」という気持ちが混在する中で、気づけば「そんな」と「本当のジブン」のギャップが大きくなっていました。

 

 42.195kmのマラソンだとしたら、ただペースを守って走るだけでも大変なのに、背伸びをしながら全力疾走で完走しようとして、痙攣を起こした。

 

 文字にすると、「そりゃそうだろ」と思うことも、今回「足を止めて」初めて、「あぁ、そういうことだったんだ」と気づきました。

 

 いまの活動、仕事は本当にやりたいこと。でも、「やりたいこと」「あるべきこと」が目指す形だとしたとして、そこに向き合う「ジブン」のことを、全然考えていませんでした。

 

 いまどんな「ジブン」で、どこにいて…に目を向けず、さらに「ジブン」だけじゃなくて、そばにいてくれる仲間のことも、考えていませんでした。(結果、離れていった仲間たちもいました。)

 

 そんな「目指す形」を仲間に押し付け、背伸びした状態で、勝手に「独り」だと孤独を感じ、壁をつくり、「どうしてわかってくれないの?」と憤っていたことが、みんなに対する試し行動だったと気づきました。

 

 最終日、常務理事が何十回もインターホンを押してくれて、声をかけ続けてくれて、ようやく世界に戻ることが出来ました。

 

 「1年くらい帰ってこないとしたら、俺が代表理事をやるしかないと思った。」

 

「無理をしないといけないときはある。でも、みんなで後ろをもって支えている、そんな風になろう」と伝えてくれました。

 

 それまでの2週間近く、うちの最古参の職員は、毎日ドアノブにサラダチキンとウイダーインゼリーを届けてくれました。

 

 副代表理事は、遠方に住んでいるにも関わらず、仕事を調整して、宮城まで駆けつけてくれました。

 

 職員・チューター・スタッフ、みんなが、ただただ、待ってくれていました。

 

 ひとりじゃないってことに、やっと気づくことが出来ました。

 




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 1月29日から、通常通り活動に復帰しています。

 

 色んなもの、全部、背負ったものを脱ぎ捨てて、等身大の「ジブン」に戻り、生まれて初めて、「幸せになりたい」と心の底から思ったスタートラインから、もう一度、一歩ずつ、一歩ずつ、積み上げていきたいと、今は思っています。

 

 一番近くにいてくれる人たちが、「幸せ」でいること、「幸せ」に活動し続けるために、「しんどさ」の押し付け合いをせず、みんなで「しんどさ」をもちあう(分かち合う)こと。

 

 これはいま、僕が大切にしたいと思う、うちの活動のあり方であり、目指す社会の形です。誰かの犠牲のもとに成り立つ活動や、社会ではなくて、子どもたちも、若者たちも、その家族も、支援者も、地域の人たちも、この社会に生きる、みんなが幸せになることです。

 

 この2週間、ご迷惑をおかけした関係者の皆さん、本当に申し訳ありませんでした。そして、待ち続けてくれた職員・チューター・スタッフのみんな、ありがとう。

 

 これまでなかなか手触り感のなかった、「みんなでやる」ってことが、やっと掴み始められた気がしています。みんなと一緒に、活動していきたいです。

 

 このブログを、30歳の新しいスタートとして、記録として、残します。

(いま流行りの「エモい」文章でしたが、お付き合いありがとうございました。)

 

 門馬 優

 

 ※この件については、ぜひ出会った時に「こそっと」聞いてください。笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

追伸:

 

 父へ

 

 幼少期にがぶ飲みしていたポカリスウェットと、病院で食べていたアーモンドチョコレートを買い込んで、自宅にきてくれて、ありがとう。

 

 30年生きてきて、実は一度も親に反抗をした記憶がなく(反抗期がなかった)、ずっと「期待に応えなきゃ」と思ってきました。「もう、期待には応えられない」と人生で初めて反抗した自分に、「アルバイトでもなんでも、生きていたら、幸せだと思っていたら、それで十分だよ。どこに出しても、恥ずかしくない息子だよ。」と声をかけてくれて、ありがとう。